<Idol Krieg:イドール クリーク(アイドル戦争)>

オーディション会場の脇

貴音のプロデューサーは何時に無く落ち着かない様子で辺りを見回していた。

腕を組み左手を小さく握って口元を隠し、視線だけを左右に動かす。

既に会場には貴音を始め、各プロダクションの錚々たる顔ぶれがズラリと並んでいてそれだけでも華やかだった。

十数組にも及ぶアイドル達がひしめき合う中、プロデューサーは別の者を探していた。

(どこだ…)

再び視線を巡らしているとオーディション開始のアナウンスが流れた。

それとほぼ同時に入場してきた一組。

ソロのアイドルとプロデューサーと思しき男性。

プロデューサーの視線がピタリと止まる。

(あれか…)

一瞬でそれと認識出来た。

柔和な表情とは裏腹に銀色の下縁メガネの奥に潜んだ鋭い眼光

一つの隙も許さずくまなく状況を読み取っている

心の奥まで見透かされてしまった様なプレッシャーがプロデューサーを襲う。

不可思議な魅力を持った少女と会場の空気すら支配してしまいそうな男性のコンビにプロデューサーは視線を離せずにいた。

獲物を前にして狼が舌なめずりをした様に男性の口元から八重歯がチラリと覗く

(この勝負は、負けられないんだ…。僕にとっても、貴音にとっても…!)

一ヶ月前

「お呼びでしょうか、黒井様」
貴音は独り社長の下に召喚されていた。

「やぁ、久しぶりだね」
社長は挨拶もそこそこに貴音をソファーへと促す。

「最近、良い感じでランクを上げてるそうだね。ちゃんと情報は入ってきているよ」

「はい、ありがとうございます。これも黒井様とプロデューサー様のご助力あってこそと…」
貴音が言うと社長は満足そうに頷いた。

「ところで、今度TOP×TOPに出場するんだって?」
スケジュールを確認するまでも無かった。

TOP×TOPと言う大きなオーディションを受ける為の調整を今まさにしているのだった。

「はい、一ヶ月後に」

「そっかそっか。じゃあいよいよ、当たりそうだね」
遠回しな社長の言葉だったが、貴音はすぐに気付く事が出来た。

「765プロ…でございますか?」
社長がコクリと頷く。

「今丁度、貴音君に当たりそうなのは二人。でも、一人は貴音君より先にデビューしてるから叩くなら新人の方だね」
社長の言葉に貴音はゴクリと唾を飲み込む。

「聞けば勢いはあるもののまだデビューして間もないみたいだし、貴音君の様に調整もしてないんじゃないかな?
 上手い事引きずり出して潰してしまおう。断る様なら逃げた事をマスコミを使って大々的に公表すればいい」
その言葉に貴音は声を上げた。

「しかし!…しかしそれでは正々堂々と勝負が出来ません。それに、プロデューサー様が何と仰るか…」
貴音の言葉に社長の目がギラリと光った。

「この業界は勝つか負けるか0か100かだよ?フェアとかアンフェアじゃない勝った方がフェアなのさ。それに…」
社長の視線が貴音に向けられる。

「それに…?」

「これはお願いじゃない。命令だよ」
貴音はキュッと唇を噛み締めた。

社長が言うのはつまりはこう言う事だった。

未完成の状態のアイドルをTOP×TOPに出場させて潰して来いと

勝負に乗らなければ違う手段でそのアイドルを潰すと…

確かに社長の言うとおりこの業界では勝つか負けるかだけなのかも知れない。

しかし、挑発的な揺さぶりを掛けて勝とうとは貴音自身思わない。

やるのであれば全力でぶつかって来る相手を全力で迎え撃ちたかった。

それが、今のプロデューサーが教えてくれたオーディションの戦い方だった。

銀色の王女と呼ばれるアイドルの在り方だった。

貴音はもう一度唇を噛み締めるとゆっくりと口を開いた。

「…では、どのようにすれば」
貴音の言葉を承諾と受け取って社長はもう一度満足気に頷くと一組の和紙で出来たレターセットをテーブルに広げた。

「貴音君らしい字でTOP×TOPへの参加を促す文章を書いてくれるかな?”果たし状”として」
横に用意された筆ペンを持って貴音は筆を走らせた。

「雌雄を決すべく来月執り行われるTOP×TOPにエントリーされたし 961プロダクション 四条 貴音」
それは、猛追してきている765プロの新人に向けて…

「うん。良いんじゃないかな?果たし状って書くのも忘れずに、出来たら事務の子に渡しておいてくれれば良い」
そこまで言うと社長はデスクに戻って行った。

言われた通りに貴音は筆を走らせ、社長室を後にする。

受付の女性に手紙を渡すと貴音は屋上に向かって歩き出した。

風に当たって少しでも荒んだ気持ちを落ち着けたかった。

先を急ぐあまり、曲がり角でドンと通りすがりの人にぶつかってしまう。

「ごめんなさい」

「貴音?」

「え?」
名前を呼ばれ声の主を見上げるとプロデューサーがそこに立っていた。

「どうしたの?急いでる風に見えたけど」
いつもの様に優しい声でプロデューサーは話しかける。

しかし、今の貴音はプロデューサーの顔を見る事が出来なかった。

プロデューサーの教えに反してあんな事をしてしまった手前合わせる顔が無かった。

「よりにもよってこんな時に…」と舌打ちしたい位だった。

「ふむ、まぁいいか。あそうそう、TOP×TOPだけど今後のスケジュ-」

「失礼します…」
プロデューサーが言い終える前に貴音はその場を後にした。

申し訳ないと思いつつもこのまま話しているのは堪えられなかった。

普段であればプロデューサーとの会話は楽しいひと時だったのに、この時ばかりはばつが悪かった。

通り過ぎてしまった貴音の後姿をキョトンとして見つめていたプロデューサーは事務所に向かって再び歩みを始める。

事務所に戻ったもののプロデューサーも仕事と言えばTOP×TOPを控えた貴音の調整程度のものだった。

それも既に組んでしまっているし、やる事はそれ程多くなかった。

TOP×TOP程の大きなオーディションともなれば他のプロダクションからも名うてのアイドル達が参加するオーディションだったので
そこから先は合格したかしないかの問題だった。

765プロが参戦する可能性も高い。

それであれば尚更だった。

勝てば良し

負けたなら良くても謹慎かプロデューサー変更だろう。

「悪ければクビか…」
ポツリと呟くとクビと言う単語が何だか身近に感じてきた。

これまでの経歴からすれば貴音は心配無いだろう。

まだまだ伸びる逸材であるし、貴音を欠いてしまっては今の961プロに765プロへの対抗馬が居なくなってしまう。

「よし、頑張るか!」
一つ気合を入れたものの相変わらずやる事の無い自分に気付く。

「さて、何をしたもんかな…」
とは言え相変わらず騒がしい事務所内は考え事をするのに適してはいない。

今日も誰かが誰かを罵り、誰かが憤り、誰かが泣いている。

「外行こうかな…」
そう思い立って受付の前を通り過ぎようとした時、ふと一枚の手紙が目についた。

「果たし状?」
そう大きく書かれた手紙は普通のとは違い和紙で作られていた。

それに加え達筆な文字で書かれた果たし状の文字。

嫌でも目に付く物だった。

「あの、これは?」
プロデューサーが声を掛けると受付の女性は手紙を一瞥し相変わらず目も合わせず事務的に返事をする。

「そちらは、貴音さんからお預かりし…っ!?」
やっとの思いで相手に視線を合わせた女性は慌てて口を押さえた。

「貴音が!?」
プロデューサーが聞き返すも、女性は視線を伏せて喋ろうとしない。

その女性の態度にこれ以上聞くのは時間の無駄だと感じてプロデューサーは事務所を飛び出した。

貴音の後を追いかける。

ぶつかった時の貴音があのまま進んでいれば行き着く先は一つしかなかった。

あの先には上層階用のエレベーターしかない。

しかし、上層階に貴音が用事があるようには思えない。

とすれば答えは一つだった。

階段を駆け上がって扉を開く。

秋の風が開いた扉からビルに吸い込まれていく。

銀色の髪を揺らしながら秋模様の空を見上げている貴音がそこにいた。

「貴音…」
開いた扉に視線を移しプロデューサーを確認すると貴音はプロデューサーに向かって歩き出した。

「失礼致します…」
平静を装ってプロデューサーの隣を通り過ぎようとした時

貴音は腕をグッと掴まれていた。

「貴音、聞きたい事がある」
いつもの様に穏やかなトーンではなかった。

「あの”果たし状”は誰に宛てて出すんだい?」
その言葉に貴音はビクリと体を震わす。

「それは…」
実に答えづらい事だった。

プロデューサーの意思とは反する事を貴音はしてしまっているのだった。

そして掴まれた腕から伝わる痛さがこのまま逃がしてはくれない事を告げていた。

「765プロの方に…つっ!」
グッと掴まれた腕に更に力が加わる。

「そんな挑発をして…無理矢理引きずり出して…そんな相手を潰すのが貴音のやり方なのか?」
怒りに震えているのが声から伝わってくる。

「そんな事までして勝つつもりなのか?貴音には貴音の闘い方があるだろう!」
貴音はキュッと唇を噛み締めた。

貴音とてそんな事を望んでこうしたのではない。

プロデューサーに教えてもらった通りに闘いたかった。

それがプロデューサーと一緒に頑張ると言う意味だったから。

そして最後に微笑むのが嬉しいと言う気持ちを教えてくれたプロデューサーとの約束だったから。

「私とて…」
じわりと涙が込み上げてくる。

「貴音?」

「私とて、望んでこんな事をしている訳ではございませんっ!」
貴音は掴まれた腕を振り払って声を上げた。

「あなた様ならお解かりになると信じていました。私の心中をお察しいただけると…」
ポロポロと零れる涙を拭いもせず貴音はプロデューサーを睨みつけた。

「この様な事、私の本意では…うぅ…」
不意に泣き崩れた貴音を見てプロデューサーは驚きを隠せなかった。

いつもあんなに無表情で感情を表に出さない貴音が

怒り、悲しみ、悔しみそして泣き崩れていた。

「だったら何故…」
プロデューサーの言葉には先程の憤りは感じられなかった。

「私は…最初から自分の世界を持つ事を許されておりません」
涙を軽く拭い、貴音が話し始める。

「黒井様とあなた様にやれと言われればやる、それが私に与えられた世界なのです…」

「じゃあ止めよう、貴音。あんなのは貴音らしくない。貴音の本意では無いなら、僕の言葉も聞き入れてもらえるなら-」

「それはっ!…できません」
止まりかけていた涙が再び零れ落ちた。

「申し訳ありません…あなた様のお言葉でも…」
この時、プロデューサーは気付いた。

今時分の言葉が貴音にとって苦渋の決断をさせてしまっている事

決めたくないものを決めさせる様な意地の悪い言葉だと言う事

そして、貴音がこんなにも自分の感情をぶつけてくれて苦しんでいると言う事

そう思うとこれ以上の詰問は出来なかった。

「わかったよ。ごめんね、貴音」
そう声を掛けるプロデューサーに貴音は小さく首を振った。

「あなた様は何も…」

「まぁ、こうなってしまった以上仕方ないね。765プロが参戦してくるのか…」
そう言ってプロデューサーは考える様に手摺に手を掛けた。

空を見上げてスーツの内ポケットから煙草を取り出すとジッポで火を点ける。

「あ、プロデューサー様はお煙草を吸われる方でしたか?」
貴音がそう言うのも無理は無かった。

貴音の前では一度も煙草を吸った事は無かったし、習慣的に喫煙する趣味はプロデューサーに無かったからだった。

「あぁ、ごめんね。滅多に吸わないし喫煙する習慣も無いから言ってなかったね。煙が嫌なら気にしないで離れてね」
貴音は首を横に振ってプロデューサーの隣に歩み寄った。

「これから頑張ろうって言ってももう僕はやる事無いんだけどね、あはは」
そうおどけてみせたプロデューサーだったが表情は強張っていた。

手摺に掛けた手が微かに震えている。

「あの、プロデューサー様…?」

「へ?な、なに?」
不意に声を掛けられプロデューサーは素っ頓狂な声を上げる。

「あの、御手が震えて…」
貴音はそっとプロデューサーの手に触れる。

カタカタと小さな震えが貴音の手に伝わってくる。

「あはは、ちょっと緊張してきたな…流石に、これが最後になるかもしれないと思うとね」
固い表情のままプロデューサーは笑う。

「さ、最後…?」

「765プロが参戦となるとね、もし負けたらって思うとさ」
そこまで言われて貴音はようやく思い出した。

プロデューサーと初めて顔を合わせた時の社長の一言を

「っ!?」
そして自分のしてしまった事に気付いた。

自分のした事がプロデューサーの人生を賭ける事になってしまった事に

「貴音はきっと大丈夫だよ」
そんなプレッシャーの中でも無理しておどけて自分を気遣ってくれるプロデューサーの優しさが嬉しかった。

それと同時に大きな不安が貴音を包み込んだ。

「僕はそうでも、貴音は素質も充分だしまだまだ伸び…っ!?」

「嫌ですっ!」
そう思う前に体が動いてしまっていた。

ギュッと抱きしめる腕に力を込める。

「貴音!?」

「嫌です!あなた様が居ない活動なんて…何の意味もありません!」
きつく抱きしめる貴音の行動に一瞬驚いたがプロデューサーはすぐに柔和な笑みを浮かべて貴音の髪を撫でた。

「ありがとう、貴音。凄く嬉しいよ」
それでもすがる様に貴音は腕に力を込める。

「まだ負けた訳じゃないし、それに僕と貴音なら負けないよ」
プロデューサーの言葉を聞いてやっと貴音は顔だけを上げてプロデューサーを見つめた。

その瞳にはまた涙が滲んでいた。

「まったく、感情的になってくれたのは嬉しいけどちょっと泣きすぎだぞ?今日の貴音は」
そう言ってプロデューサーはハンカチを取り出して貴音に差し出した。

ぐすっと鼻を小さく鳴らして貴音はハンカチを借りて涙を拭った。

「私、絶対に負けません。必ず…勝ちます」

「そうだね、本番も一緒に頑張ろう!でもその前に…」

「?」

「当日、765のアイドルに謝りに行こうね」

「はい」


TOP×TOP 当日

貴音は控え室のドアを叩いた。

プレートには765プロダクション 我那覇 響様と書かれていた。

中から男性の声で返事が返ってくると静かにドアを開けて礼をする。

顔を上げた先には銀縁のメガネを掛けた男性と黒い長髪を白いリボンで束ねた女の子がこちらを見つめていた。

「お初にお目に掛かります。私、四条貴音と申します。我那覇響様でいらっしゃいますか?」
貴音はアイドルであろうその女の子に視線を移して訪ねた。

「自分が我那覇 響だよ」
快活そうな感じの女の子がそう答える。

確認を取ると貴音は再び頭を下げて謝辞を述べた。

「先日はご無礼を致しました、お許しください。ですがこれも故あっての事とご承知置きください」
それは先日送りつけた”果たし状”の事だった。

貴音は社長に言われ、プロデューサーと話し合って以来ずっと胸につかえていた言葉をようやく口にする事が出来た。

挑発行為で無理矢理この舞台に上げてしまった事を謝罪したかった。

正々堂々と勝負する為にも…

そしてこの時、貴音は固く決心していた。

必ず勝つ、と

プロデューサーの為に

「故…?」
響と名乗った女の子が聞き返す。

「はい。私の本意ではございません事、それだけお申し伝えにと…。では、また後ほど会場で…」
再び深く頭を下げて貴音は我那覇 響の控え室を後にした。

貴音が自分の控え室に戻るとプロデューサーが落ち着かない様子で近付いてきた。

「貴音、何処行ってたんだ?居ないからビックリしたよ」

「ご心配お掛けして申し訳ございません、765プロの我那覇様にご挨拶を」
その名前を聞いてプロデューサーは一瞬驚いたが直ぐに表情を戻した。

「そうか、どうだった?」
貴音は少し考えると直ぐにプロデューサーと視線を合わせた。

「良い方でした、そして…」

「そして?」

「恐らく一番の強敵になるかと…」

「そうだね、彼女はデビュー戦でルーキーズを制覇したらしいし。ポテンシャルが高そうだね」

「そうですね、では…」
貴音はそう言って立ち上がるとニコリと微笑んだ。

「行って参ります」
貴音が部屋を出た後、プロデューサーが時計を確認するとオーディション開始予定の20分前だった。

「いつもより早いな…」
普段なら10分前に会場に入るはずの貴音が更に10分も早く入った事に彼女の気持ちが伝わって来る様だった。

不安がプロデューサーの頭の中をぐるぐる回る。

負けるかも知れない

駄目かも知れない

そんな弱気が押し寄せてきた。

プロデューサーはそんな気持ちを振り払うように頭を振った。

「何を弱気な!」
声を上げて自分を戒める。

「勝たなくちゃいけないんだ!貴音と一緒にTOPを目指すんだろ」
頬をピシャリと叩いて気合を入れるとプロデューサーは控え室を後にした。

誌面の表紙にも載った通りのキャッチコピー

貴音、魔王エンジェル、我那覇 響のそれぞれの社運を掛けたアイドル戦争の火蓋が切って落とされる。

(さぁいよいよだな…現在の流行は、ボーカル ダンス 最後にビジュアル。貴音は若干有利だな)
慎重に貴音の様子を見守る。

特に緊張をしてる様子も無く、いつもの貴音がその美声を披露していた。

開始早々、プロデューサーの予想通りに3ユニットに審査員の注目が集まる。

(魔王エンジェルとボーカルは競りそうだな…、我那覇はダンスでアピールを取って来たか)
一次審査が終了する。

(ボーカルはどっちだろうな…。ダンスは我那覇に勝てないな、悔しいけど貴音以上だ…)

二次審査開始

貴音は引き続きボーカルのアピールを続けていた。

それに倣う様に魔王エンジェルのアピールが続く。

目下のライバルである我那覇 響はダンスに集中したアピールを続けていた。

ビジュアルの審査員が我那覇 響の番号を呼ぶ。

(いい表情をするなぁ…、流石に765プロは伊達じゃないな)

二次審査が終了する。

(反応からしてさっきも今もボーカルは取ったみたいだな、ダンスとビジュアルを取られたか…)
プロデューサーはチラリと我那覇 響のプロデューサーに視線を移した。

当の本人は飄々とした態度でその長身の所為か見下す様な感じで会場を見渡していた。

(ボーカルを2度も取られているのに焦りは無いのか?)
プロデューサーは再び貴音に視線を戻すと貴音が視線を送っていた。

プロデューサーは親指、人差し指、中指をパッパッと2回開いた。

(うん、このままボーカルで押し切ろう!)
その合図に貴音はコクリと頷いた。

三次審査が開始される。

「っ!?」
貴音は思わず息を飲んだ。

今までチラチラと辺りを見回していたが予想もしなかった事態が起きた。

貴音と魔王エンジェル、そしてその他のアイドル達に割り込む様に我那覇 響が入って来たのだった。

(三次審査からボーカルにアピールを切り替えた!?)
プロデューサーも同じく動揺を隠せなかった。

今までダンスのみに集中してアピールしていた子が手の平を返した様にボーカルにアピールを集中しだした。

ましてやボーカルでの実力差は見せ付けられている筈なのに敢えてボーカルに出て来たのだ。

(何を考えてるんだ…)
思わず我那覇 響のプロデューサーを見る。

彼は先程とは打って変わって自信に満ちた表情を浮かべ審査員を静かに見つめていた。

(何故?何故だ?最後の悪あがき?担当アイドルの能力を知らない訳じゃないだろうに。何故だ…)
考えれば考える程、混乱の渦は深まって行った。

(解らない…あの自信は何処から来るんだ…)
TOP×TOPの最終局面を迎えて予想だにしない事態に焦りは募る一方だった。

貴音にもプロデューサーにも考える時間など与えられなかった。

この場面で方針を変える意味など無かった。

進んでしまった一歩を止める事は出来なかった。

敵は我那覇 響一人ではない、ボーカルアピールで魔王エンジェルの追随を許す訳にはいかなかった。

残り数回のアピールチャンスを無駄には出来なかった。

そして最終のアピールが終了する。

「はぁっ、はぁっ」
貴音は持てる全ての力でボーカルへのアピールに尽力していた。

「勝ったか…?」
そこに居た全員が静かに見守る中、一人の審査員が立ち上がった。

「なっ…!?」
そしてそのままその場を去ってしまったのだった。

呆然と審査員の背中を見送り、ドアが閉じる音にふと我に返った。

(待て…ボーカルの審査員が居なくなってしまったら審査はどうなるんだ…。まさかっ!?)
思わず視線を上げる。

そこには嬉しそうに会話をしている男女二人の姿が飛び込んできた。

言わずもがな765プロの二人である。

(まさか、これを狙ってボーカルアピールを…)
自分の経験不足と実力差に不意に悔しさが込み上げてくる。

貴音と我那覇 響間に差などなかった。

決して貴音の実力は負けてなどいなかった。

確固たる差はプロデューサー間の実力の差だと気付かされたのだった。

「貴音!」
プロデューサーが声を掛ける。

「戻りましょう…勝敗は決しました」
ほんの僅かではあったがいつもの貴音の声とはトーンが違っていた。

「すまない、先に行ってて。僕は、結果を…聞いてからいくよ」

「畏まりました」
貴音はそれだけ言い残し控え室に戻って言った。

貴音が見えなくなって程なくしてアナウンスが流れる。

声高にTOP×TOP合格者 我那覇 響の名前が呼ばれた。

「そうか…ここまでか」
プロデューサーはそう呟くと一人の男性の下へ歩いていった。

「初めまして、合格おめでとうございます」
そう話しかけると男性は銀色の下縁メガネの奥で視線をずらし再び視線を合わせた。

「おや、貴方が四条 貴音さんのプロデューサーですか」
そう声を掛けられプロデューサーは一瞬ヒヤリとした。

ほんの僅かに視線をずらしただけに見えて襟に着けられた社章を確認されていたのだった。

「思っていたよりお若いのでビックリしました」
男性は柔和な笑顔でそう言葉を発した。

「いえ、それ故此度の敗北です。完敗でした」

「いいえ、私も途中までは負ける予想をしてました。貴音さんは素晴らしい才能とプロデューサーをお持ちになられたと思います」
負けた相手とは言えそう言われて悪い気はしなかった。

「ありがとうございます。響さんも良いプロデューサーをお持ちだと思います」

「いやいや、貴方と貴音さんとはまた何処かで再び相見える事もあるでしょう」
その言葉に一瞬躊躇しつつもプロデューサーは答えた。

「そうですね、その時は負けません!今日は良い勉強になりました。そのお礼が言いたかっただけです。ありがとうございました!」
プロデューサーは礼を述べて頭を下げると貴音の待つ控え室に向かって歩き出した。

控え室で響は独り椅子にポツンと座っていた。

他に何をする気力も無かった。

オーディションでの闘いで疲れた体にただただ押し寄せる不安から押し潰されまいと必死だった。

合格者発表のアナウンスは既に耳に入っていた。

これでプロデューサーとの活動は終止符を打つ事になる。

それと同時に自責の念でいっぱいだった。

自分が765プロを挑発してしまったからと後悔ばかりが先立ってしまう。

もしかしたらプロデューサーはこのまま帰って来ないのではないか?

そんな事ばかりが渦巻いていた。

そんなだったからこそ控え室のドアが開いた時、どれだけ心弾んだろう

今日この後、共に活動出来なくなる事を知りながらドアが開いた先に見えた彼の顔を見た時、どんなに嬉しかったろう

急に涙が込み上げて来て体が勝手に動き出していた。

「うぁっと!」
衝撃に倒れそうになるもプロデューサーはどうにか踏み止まった。

ぶつかって来たものが何だったのか

それは確認をするのに時間は必要なかった。

フワリと緩いウェーブの掛かった銀色の髪が小刻みに揺れていた。

「くぅっ…ふっ、ひっく…うぅっ」

「貴音?」
貴音はすがり付く様にプロデューサーのスーツを握り締めて声を殺して涙を零していた。

「ご…なさい、ごめ…さぃ…」
消え入りそうな掠れた貴音の声がしんと静まり返った控え室に漏れる。

貴音は怒られた子供の様に泣きじゃくりながら「ごめんなさい」を繰り返していた。

「貴音の所為じゃないよ。僕がいけないんだ…最後に指示をしたのは、僕だ。」
プロデューサーの言葉に貴音は大きくかぶりを振る。

「私のっ!…くしの、責任です。わたっ…が、もっと…ダンスレッスンをっ…ぐすっ、ていれば…」
貴音の言葉に今度はプロデューサーが小さく首を振る。

「違うよ、僕が…僕にもっと経験があれば…。ごめん、貴音」

「違いますっ!ひぅっ、貴方様は…にも…。わたくしが…っしが…あんな事を、うぅっ。しなければ…」
言葉はお互いに空回りしていた。

庇いあう事でこれからおきる現実から目を背けたかっただけなのかも知れない。

暫くの問答の後、最後には沈黙だけが残った。

お互いを想う気持ちを残したまま…


翌日

プロデューサーは社長室に呼び出された。

内容は言わずもがなだった。

四条 貴音のプロデューサー解任

これまでの貴音の実績のお陰で辛うじてクビは免れたものの肝心の貴音のプロデュースは出来なくなった。

プロデューサーに新たに与えられた部署は事務。

事務所内の事務ではなくまったく別部門の事務でアイドル達の居る事務所とは階層も大きく違っていた。

その中でも会社に届いた郵便物を各部署に届けると言う事務とは名ばかりの雑用係だった。

屋上の喫煙所で空を眺めながら煙草を咥える。

ゆるゆると秋の涼しい風に煙が流されていくのをただ眺めていた。

(そう言えば、少し前もここで煙草を吸ったっけ…?)
あれは何時だったか?と考えを巡らす。

(あぁ、貴音と”果たし状”の事で話した時か…)
そう、今結果として残ってしまったこの事態を話し合ってた時だった。

覚悟はしていたものの考えるのと感じるのでは大違いだった。

ポッカリと胸に穴を開けられた気分だった。

「はぁ…」
大きく吸い込んだ紫煙を溜息と一緒に吐き出すとパタンと扉が閉じる音がした。

続けてコツコツとコンクリートを突く音が耳に入ってくる。

「貴音?」

「あ…」
振り返らずに言い当てられ貴音は小さく声を上げた。

「良く…お解かりになられましたね」
声を掛けるとプロデューサーはくつくつと笑った。

「解るさ、貴音の足音は特別なんだよ」

「どう言う意味ですか?」

「存在感が違うよ」
意味の汲み取れなかった貴音は小首を傾げ小さく溜息を吐くとプロデューサーの隣に寄り掛かった。

「あの、プロデューサー様」
貴音の言葉にプロデューサーはクスッと笑んで言葉を返す。

「僕はもう、貴音のプロデューサーじゃないよ」
そう言ったプロデューサーの横顔は自嘲めいた嫌味な笑みではなかった。

寧ろ気分が良いと言いたげな貴音の知るいつものプロデューサーの微笑だった。

その一言がプロデューサーに尋ねようと思っていた全てだった。

「左様でございますか…」

「ごめんね、黒星をつけてしまって」
貴音は小さく頭を振る。

「いいえ、昨晩は沢山…色々な事を考えました。私も貴方様も同じです。765プロに勝つだけの実力が私達に足りていなかっただけです」
それが貴音の出した結論

どちらか一方が悪い訳じゃない。

強いて言うならどちらも悪い。

765プロの方が完成度がより高かっただけの話し。

一緒に闘ったのだから悔しさも辛さも半分にならず2倍に膨れ上がりそれをお互いに独りで責任を感じてただけなんだ。

それが貴音の出した嬉しい方の結論だった。

「そうだね」

「貴方様と共に進めない事が…私は何よりも残念です。もっと貴方様と−」
涙を堪え囁く様にしか出なかった貴音の声を涼やかな風が掻き消す。

「ありがとう、貴音」
プロデューサーは淡く微笑んだ。

「まぁ、貴音がアイドルを続けてくれるなら僕はそれだけでも良かったんだ。でも今、貴音と話してたら新しい夢が出来た!」
寂しそうな表情を浮かべていた貴音を励ます様にプロデューサーは声を上げた。

「ゆめ…?」

「うん!今日それもついさっき解任されたばかりだけど。僕はまたプロデュースがしたい」

「…」

「貴音がそこまで言ってくれたんだから少なからず才能はあるかも知れないしね」
悪戯っぽく笑って見せたプロデューサーの表情に貴音も思わず口元が緩んでしまう。

「クスッ、左様ですね」
貴音が笑んだのを見てプロデューサーは嬉しそうに笑った。

「お、笑った笑った。さっきからずーっとしょぼくれてたから笑えなくなったのかと思ったよ」
無表情のままプクッと頬を膨らます貴音を予想していたが、予想に反してハッと思い出した様に口を押さえた。

「忘れておりました。いつか迎えに来て下さるんですよね?笑顔で居たら」
今度は貴音が悪戯っぽく笑う。

まさかそんな切り返しが来るとは想像してなかったプロデューサーは一瞬ポカンとしてしまった。

だが、直ぐに何時もの優しそうな笑顔に戻る。

「そうだね。いつかきっと、迎えに行くよ」

「楽しみにして、お待ちしております」
貴音はスッと右手を差し出した。

いつかのプロデューサーがそうした様に

「一緒に頑張って行こう」言ってくれた人がそうした様に

その日が来るまで一緒に頑張りましょうと言う言葉をその手に乗せて

そして貴音の右手はその人の手に優しく包み込まれた。

 SS寄り